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しまねこの息抜きブログ
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先日ご紹介した大紀元のコラム、
『中国崑崙山の仙人』の7回、 応霊が面白いです。

また、一部の人には、
悪いことをしたら、すぐにいろいろなことが起きて、
その罪を償うようになるが、これは「現世応報」という。
しかし、一部の人は、以前に大きな徳を積んでおり、
その徳がまだ消えていないので、
報いがまだ来ていない場合もある。
一番怖いのは、罪を償う資格さえ失った人たちである。
神様は、彼らはもう罪を償う価値さえないと見なしているという。
彼らを待っているのは、絶えず消えない苦痛であり、
形神(肉体と精神)が消えるまで、その苦しみは続くのだ。

(一部抜粋)
中国崑崙山の仙人(7) 応霊より

この思想は神仙道にあるものと同じ。
つまり出典は同じ所から来ているんじゃないですかね。
平先生と言う方は地仙なのかしらん?

『罪を償う資格さえ失った人たち』

つい最近、そのうちの一人が亡くなりましたっけ。
今頃、真っ暗な闇の中で恐怖で発狂しそうになりながら
逃げ回っておりますかねえ・・・。
エラい目に遭われるでしょうなぁ・・・。


それはさておき、この仙人のお話の中に
「境界」ってのは実はもっと深い意味がある。
と言うような事が出て来ますが、
少し前に同じようなことを考えていました。
それは「境界」と言うより、
『戸』、つまりドアって何だろう?と。

お化けの話を見たり聞いたりしていると、
よく、お化け(幽霊?)が
ドアを叩くシーンが出て来るでしょう?
お化けなんだから、ノックなんかしないで
スッと入ってくればいいじゃない?
そもそも脅しに来ているか?
助けて貰いに来てるのか?
知らないけど、要が有るんでしょ?
なのに、なんでわざわざ礼儀正しく(?)
ノックするのかな?と。

ここでふと思い出したわけです。
イザナギノ命がイザナミノ命に追われて
黄泉の国から逃げ帰る時、
その坂道に千引きの岩で道を塞いでしのいだ、
と言う段がありますね。
この大石を道反大神(ちがへしのおおかみ)と言う。

『戸』と言うのは、何も利便性だけで建ててある物ではなく
実はこう言う魔的な物から
人を守るためにあるんじゃないか?
いや、建物に限らず、人間の生活のどんな物にも
こう言う深い意味、神々の教えが根底にあって、
『戸』だけでなく、『竈』もそうですし、『トイレ』も然り。
生活の知恵を越えた知恵と言うものがあって
我々はそれを知らずに繰り返し、
履修しているのかもしれないですね。




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